「続 山を探す」展 表裏の話 第七話「あとがき全文」

「続 山を探す」展 表裏の話 第二話「あとがき」にて、この展示における「あとがき」の役割を書きましたが、会期が終了しましたので、ここに全文を掲載したいと思います。

 

以下の、

『続 山を探す』展 アーカイブ 動画 >>
『続 山を探す』作品ギャラリー >>

と合わせてご覧いただけましたら嬉しく思います。

 

 

===========

 

 

あとがき

 

『続 山を探す』は、『山を探す』( 出版社: リブロアルテ・2 0 1 9 )の十六点と、数年後に訪れた父の死をきっかけに追加した十一点により構成し、アップデートした作品です。

 

 

前作『山を探す』は、川野が持つ「なぜ山に登るのか? 」という問いを、日本古来に根付く自然観や宗教観を重ね合わせながら仮説提示を試みた作品です。

 

このテーマにたどり着いたきっかけは、それまで山にまったく興味のなかった自分が、年に数十座の登山を無性に求めるようになった理由は何なのだろう? という疑問からでした。考察の結果、日本に古くから受け継がれる、死者の魂は山へ向かうという「山上他界」観に由来するのではないか、という仮説に至りました。

 

私たち日本人は、無信仰を自負していても、神仏に手を合わせたり、自然のあらゆる事象に神仏や精霊や霊魂が宿ると感じたりします。目には見えない神聖な存在を身近に感じる機会に数多く遭遇します。それはもはや、日本人の遺伝子に組み込まれた本能のようにも感じます。年齢の積み重ねに比例して山の存在を求める人々が増えるのは、細胞の老化がきっかけとなり、本能が無意識に死後の魂の行き場となる山を探していると思えてならないのです。

 

しかしながら、死を求めて山に入るわけではありません。

 

 

ここから、今作『続 山を探す』に話が移ります。

 

この作品の中で問いの鍵となるピンクテープは、そこが「登山道である」という道標の役割を果たしています。即ち、ピンクテープを探しながら歩くことは「生」への道筋を探す行為であり、ピンクテープは「生」のメタファーであるとも言えるのです。

 

「なぜ山に登るのか? 」という問いを始めてから数年後、私の探していた山が一体何であったのかを悟りました。きっかけは、近年癌を患っていた父が他界したことでした。

 

私は、余命宣告を受けながらも辛い治療を続ける父に

 

「それでも生きたい? 」と聞きました。
「生きたい」と父は返答しました。

 

生きることを望んだ父。生きることに執着がなかった私。
山が好きだった父。山に興味がなかった私。

 

非情にも父の癌は進行し、末期状態に至り緊急入院しました。急いで病室に向かいましたが、既に父の意識は無く、ベッドの傍らに心電図モニターが置かれていました。その光景は、父の死が目前であることを意味していました。

 

モニター画面に映し出される心電図を見て「ああ、父も山を登っているのだな」と感じました。また、心電図の波形を見て、「あ、山か… 」とも。

 

 

『山を探す』で示した解と、『続 山を探す』で示した解。どちらも自分にとって間違いではありません。山は死と生が隣り合わせであることを強く実感できる場所です。死と生は、互いの存在があってこそ成り立つものでもあります。

 

「なぜ山に登るのか? 」

 

イギリスの登山家ジョージ・マロリーはこの問に対し「そこに山があるからだ」と答えたのは有名な話です。この名言は後に誤訳であったと言われています。いずれにせよ、その問いに対しての答えは様々で、山には登らないという人も当然ながら存在します。とりあえず私は、この先も可能な限り、山に登り続けていると思います。

 

死後の行き場と生への道筋を探すために。

 

 

 

川野恭子 写真展「続 山を探す」

会 期    2022年1⽉13 ⽇(木)〜 1月27⽇(木) ※終了しました
会 場   CO-CO PHOTO SALON 東京都中央区銀座3丁目11-14 ルート銀座ビル 4F
時間    11:00〜18:30 日曜日定休 (最終日17:00まで)
WEB   https://coco-ps.jp/exhibition/2021/07/134/
※ 在廊日時はTwitterなどでお知らせします。