登山者のエゴと写真家のエゴ。

思いがけず、剱岳に登ることになった。
自分でこの山域を選んだのだから、思いがけずというのはおかしな表現だが、秋雨前線が南下したことで立山山系の天気が快方に向かった。だから思いがけずというのはあながち間違いではない。

剱岳といえば、新田次郎の小説「点の記」の舞台となった山で、岩だらけの切り立った尾根と厳しい自然環境から、日本地図最後の空白地帯とされてきた山だ。

剱岳の核心で難所と呼ばれる「カニのタテバイ・ヨコバイ」くらいは聞いたことがあるのではないだろうか。鎖場の連続で、足場の安定しない切り立った岩肌をひたすら登り続ける。この山ひとつが、生死を掛けた壮大アトラクションと言っても過言ではないだろう。そんな山だから、アルピニストの憧れの対象でもあるし、山を始めて2年程度の経験しかない私からしたら当分登ることのない山だと思っていた。

剱沢キャンプ場に入った時点では大雨で、そこに鎮座しているはずの剱岳はまったく見えなかった。ところが、数時間もしたらすっかり晴れ渡り、夕日に照らされた荘厳な山容が眼前に広がった。山に入る人は分かると思うが、山に受け入れられる瞬間というものがある。風が背中を押してくれるときもあれば、霧が晴れて扉を開いてくれるときもある。今回の劔は、まさしく山が私を受け入れてくれていた。

とはいえ、単独登攀でかつ難易度の高い山であるから、これまでの山行とは比べ物にならないくらい緊張で心拍は無用に高まり、喉の渇きも半端ない。一歩踏み外せば生死に関わる重大事故につながるので、いつも以上に慎重に足場を確認する。正直、山に作品を撮りに来ているのに作品を撮るどころの余裕は無かった。それでも登るのは写真家としてではなく、登山者としてのエゴでしかない。

山に入る理由のひとつとして、自分の生を実感したいから、というのが挙げられる。間違いなく今回の山行はこれまでで一番強く生死を意識したし、下山後これほどまでに生還した喜びを感じたことは無かった。今日アップした写真は、一服剱を超えて生を強く実感した瞬間。下山した直後は当分劔は勘弁と思っていたのに、今度は霧がかった神秘的な劔を写真に収めてみたいと思ってしまう自分がいる。