山を探す
川野恭子 写真展『続 山を探す』は、2022年1月13日(木) - 27日(木)まで CO-CO PHOTO SALON にて開催された展示です。写真集『山を探す』(リブロアルテ・2019年)より約16点と、新作11点を含む約27点にて構成しています。 本展では、写真集『山を探す』で示した解に加え、その後の父の死をきっかけに自身にとっての「山」へと辿り着く過程を提示します。 写真展『続 山を探す』アーカイブ動画 はこちら >>四十代を迎えたある日を境に、無性に山が気になりはじめた。 それからというもの、何かに取り憑かれた様に山に入った。 気づけば一年と経たないうちに数十座は登っていた。 何故、それほどまで山に惹かれるのか? 明確な理由は分からないが、 日本人に古くから根付く自然観や宗教観によって 山を求めている気がしてならなかった。 私は山を探していた。
1メートル、時々彼方。
あるとき写真を整理していると、半径1メートル以内にピントを合わせているものが多いと気付いた。それは、パーソナルスペースのようでもあり、ジェンダー的特性でもあるようにも感じた。 私のアーティストステートメントのひとつは「日々を紡ぐ」だが、その言葉が持つ曖昧さや都合の良さにどこか物足りなさを感じていた。しかし、距離を意識することで個人としての視点、かつ、女性としての視点、つまり「私の日常」というものがより一層視覚化されるかもしれないと気付いた。 たまに遠くを見つめたりしながら、そんなことを思う。When an apple fell, the god died.
林檎、それは時に「禁断の果実」と呼ばれる。 旧約聖書の「創世記」によれば、エデンの園には知識の樹があり、 その実を食べると神々に等しき善悪の知識を得るとされていた。 その実こそが禁断の果実。 林檎が神に等しい知識を得られるものであり、新世界を見せてくれる果実であるならば、 他の誰にも見えない、私にしか見えない世界を見てみたい。 自分らしさを求め、西日に輝く林檎園を彷徨い続ける。 しかし、禁断の果実はやがて樹から落ちる。 ニュートンは、林檎が地面に落ちるのを見て万有引力の法則を発見したという。 これまで「神」を利用してあらゆる事象を説明してきたが、 科学の発展により神の存在の必要性がなくなってしまった。 ニーチェの言葉を借りるなら「神は死んだ」のだ。 林檎が樹から落ちたとき、神は死んだ。- 0010_s
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そこここ
いつも過ごす部屋のなかに。 いつも歩く道の途中に。 私の原点。 「ゆるかわ写真」を撮っていたころ。
Kyoko Kawano
Kyoko Kawano Photographer's site