心ここにあらず。

10月も三連休を過ぎると、紅葉は人里へ降り、アルプスは雪の便りが届く。山小屋も小屋閉めを迎え、いよいよ人を寄せ付けないきりりとした空気に包まれる。

数日前、山が眠る前に…と前穂高岳に登った。今撮りためている作品に足りないイメージを探しに登った。山に入ったその日は快晴であったが、前穂高岳に登る日はどんよりとした雲に覆われ、山頂に着くと同時にガスに覆われてしまった。ちょうど一年前のこの頃、涸沢から奥穂高岳に登った時もガスに覆われ、周囲の山々を見ることは叶わなかった。今年こそは…と期待していたが、

求めるイメージは真逆で、ガスに包まれた神秘的な景色だった。どちらに転んでも複雑な思いだったであろう。写真家としてならガス、登山家としてなら晴れを望むからだ。しかし、この山行は写真家として登ったのだからガスで正解だったのだ。

その日は岳沢小屋で一泊し、翌朝下山した。下山しようと小屋をあとにするが、何度も振り返ってしまい歩が進まない。山眠る前の岳沢の山肌を見て不思議と涙が流れそうになった自分がいた。何故だか分からないが、この山の景色はどこかで見た景色のようで離れ難かったのだ。それは、慣れ親しんだ町を離れるような感覚だった。

コースタイムの倍以上の時間をかけ上高地に戻ると、そこはスニーカーにカジュアルな服装に身を包んだ観光客で溢れていた。自然と「下界に戻って来てしまった」という違和感が心を満たしていた。昨日まで普通に見ていた景色の筈なのに、あれから数日経った今も魂はここに居ない。