久しぶりに花を撮りたくなった。
藤岡亜弥さんの「花のゆくえ」、そしてmimiさんの「Can’t Say Goodbye.」、両写真展を拝見した影響によるもの。
「花」という被写体への向き合い方、捉え方、存在が、とても面白いと感じた。
”
花はいのちのメタファーとして
わたしの存在を確かなものにしてくれるだろうか。
また、花は女のメタファーとして
わたしの傾斜や偏見を説明してくれるだろうか
”
藤岡亜弥「花のゆくえ」より
”
花が捨てられない
枯れる瀬戸際まで
枯れても、なお
・・・
変わりゆく姿も、また美しく
諦めかけた頃に、膨らむ蕾
それは希望
”
mimi「Can’t Say Goodbye.」より
私が、ふたつの展示から感じたことは、藤岡亜弥さんにとって花は「営み」を切り取るトリガーとして、mimiさんにとって花は彼女の「営み」そのものとしての存在なのだなと。
いずれにせよ、花は自身のメタファーであると感じた。だって、花を入れずにはいられないのだから。
私は花は好きだけれど、被写体とするには難しいと感じている。それは、花に撮らされてしまったり、花が花として写りがちだから。そのこと自体が悪いことではないけれど、個人的好みとしては「自身のメタファー」として見える写真が好きなのだ。それは、私が「山」を「山岳写真」としてでなく、自身のメタファーとして捉えていることと似ているな、とも思った。そうか、そういうことか、と。