ランドネ2025年2月号のインタビュー連載「だから、私は山へ行く。」にて、川野のことを取り上げていただきました。
山を愛する人や、仕事にしている人の生き方に迫る内容なのですが、過去に掲載された方々を拝見すると存じ上げている方ばかり。そのなかの1ページとして飾らせていただけるのはもちろんですが、「表現者」として紹介いただいたことが何より嬉しく思いました。
川野は山に登り始めて8年経ちますが、山に興味を持ったきっかけは「山を題材とした写真集」でした。写真集といっても種類は色々ありますが、山や写真の美しさをストレートに見せるのではない、山であって山ではない、コンセプチュアルなものでした。それまで、私にとって山の写真は山岳写真のイメージが強かったものですから、山の見せ方、捉え方としてこのような方法もあるのだな、と感心したのを覚えています。山に登るだいぶ前、そして、京都造形芸術大学(現京都芸術大学)に通う前のことです。きっかけとしての強度は弱く、このときはまだ山に登ろうとは思いませんでした。
直接的なきっかけは、十勝岳の望岳台に撮影ロケで訪れたことです。このあたりのことは誌面で取り上げていただいているので割愛しますが、写真のおかげで山に出合えたのは間違いありません。
では、写真でどのように山を捉えるか?山に向き合うか?
私にとって山の写真の原点は「山を題材とした写真集」です。最近は商業的に山と向き合う…撮影ロケや作例撮りで山の写真を撮ることが増えましたが、山を山として見せることが作品の最終目標ではありません。山をとおして得た気付きを表現したい。その結果生まれたのが、「山を探す」であり「何者でもない」です。
誌面では川野が写真をはじめたきっかけから、どのように作品制作に取り組んでいるのかなど、一連を紹介してくださっています。インタビュー時は思いつくまま話してしまい、まとめるのがさぞ大変では…と反省しましたが、美しく流れる文章で無駄なくまとめられていて感動しました。しかも、撮影いただいた写真には作品の中でしか見せない表現者の自分が映り込んでいるようで驚きました。ライターの吉原徹さん、写真家の大畑陽子さんの丁寧なお仕事と、ランドネ編集部さんよりいただいた貴重な機会に、この場を借りて感謝申し上げます。
この写真は、個展「何者でもない」で展示した作品のひとつで、雲ノ平から見た黒部五郎岳です。黒部五郎岳は、山岳信仰色の薄い山ですが、この光景はとても神秘的に見えたことを覚えています。
以前、写真家井賀孝氏のトークイベントのゲストで呼んでいただいたことがあるのですが、「山岳信仰の対象になるかならないかの違いは、里山から見えているか否かが関係しているように思う」という一節が記憶に残っています。その説に当てはめると、黒部五郎岳は里から遠いところにあり、特徴的なカール地形は里とは反対側にあることもあって、信仰の対象になりにくかったのも納得できます。
「何者でもない」は認識によって見え方が異なることをテーマにしましたが、黒部五郎岳も里山から特徴的な山容が見えていたら信仰の対象、つまり「何者」かになっていたかもしれない。そう思いながら選んだ一枚です。この写真を撮影した数年後、黒部五郎岳にほど近い山小屋で働くことになるとは思いも寄りませんでしたが。