登山者のエゴと写真家のエゴ。

思いがけず、剱岳に登ることになった。
自分でこの山域を選んだのだから、思いがけずというのはおかしな表現だが、秋雨前線が南下したことで立山山系の天気が快方に向かった。だから思いがけずというのはあながち間違いではない。

剱岳といえば、新田次郎の小説「点の記」の舞台となった山で、岩だらけの切り立った尾根と厳しい自然環境から、日本地図最後の空白地帯とされてきた山だ。

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雲ノ平へ。

先日、日本最奥の秘境、黒部源流について書いたが、ひょんなことから一年ぶりに再び秘境「雲ノ平」へ行くことになった。

ふたつの台風が接近している状況ではありながら、いざ山に入ると秘境へ近づくにつれ晴天へと変わっていく。その様子はまるで、人間界から天上界への景色の移り変わりを見ているよう。

「ここは神々の集う天上界なのでは?」

あまりに美しい光景を眼前にし、この世に帰れるのか不安になる。もしくは、夢なのではないかとさえ思う。

帰路の途中、この山行が夢ではなかったことを証明するかのように記事を書く。足の疲労感からすると、夢でなかったことは確かなようだ。

 

憧れの秘境。


台風13号の接近により、南アルプス山行の計画が流れてしまった。去年のこの時期も同様に、北アルプス山行の計画が流れて悔しい思いをした。8月の第一週は、台風の特異日ならぬ特異週なのだろうか。

それはさておき。
昨日の情熱大陸にて、黒部源流にある三俣山荘の密着取材が放映された。ここの山荘を知ったきっかけは、もとを辿れば黒部ダム工事の歴史からなのだけど、黒部のことをさらに知りたくなって手にとった本「黒部の山賊」が直接のきっかけ。

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原点へ。

二年ぶりに訪れた、山の原点。

あの日も、そしてこの日も、訪れようとしていたわけではないのに、思いがけず導かれたという不思議。

 

山よ、ただいま。

後悔。


うだるような酷暑にうつらうつらしながら作業していると、スマホが目を覚ませとばかりに何かを知らせてきた。友人からの素晴らしい報告だった。一気に目が覚めた。

その報告を聞きながら、「ああ、やっぱり今日は山に入れば良かったか」と思った。山を通じて知り合った方から、「北アに行く予定なのですが、ご一緒しませんか?」と誘われていたのだ。ふたつ返事で参加すると言いたいところだったが、

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本能

この広い世界の中で、あなたは何故山を選ぶのか?それが本能だと言うのなら私のそれも、DNAに組み込まれているものなのだと思う。

山は呼ぶ


昨日、作品作りのために後立山連峰を縦走した。現在取り組んでいる作品は特定の山域をテーマにしているわけではなく、イメージに合う場所であれば正直どこでも良かった。条件としては岩稜帯であること、ガスが湧き出る天候であること、今まで登ったことのない山であること。この条件に当てはまったのが後立山連峰だった。結果として求めていたカットが撮れたのだが、今回の山行は直前まで迷っていた。出発前夜まで天気予報を睨み続ける。自宅から登山口である扇沢までは時間もかかるし、旅費もそれなりだ。天候により撮れないことのほうが余程多い。だけど、今回は山に呼ばれている気がした。そして、山は確かに呼んでいた。

運命

山に行くことについて、家族や近しい友人からはとても心配されるけど、死にに行くわけではない。そのことをある出版社の社長にお話ししたら「山は体を清めに行く場所」と仰った。個人的には、山は生と死をリアルに感じることで自分と向き合う場所だと思っている。結果的にそれは精神的・肉体的デトックス作用につながる。

山は死にに行くために登るのではないが、もし、運命というものがあるのなら、その場所やタイミングは山かもしれないし、そうでないかもしれない。普段何気なく流れてくるニュースのなかに「何故この人がこのタイミングで…」と感じることは多々にある。そこにはやはり、運命の流れを感じざるを得ない自分がいる。

自分の運命の河はどの様な流れなのだろう。

風の便り

季節の変わり目に差し掛かるころ、「そろそろ季節が変わりますよ」と風が吹く。今宵、私の住む街に風の便りが届いた。あの山の上にも風の便りは届いたであろうか。

気持ち新たに

写真家 川野 恭子 のWEBSITEをリニューアルすることにしました。

ここ数年、これまで以上に自分に向き合い、作品に向き合い、自分の生きている証を残していきたい、と強く思うようになりました。以前からそう思っていなかったわけではないのですが、どこか、自分のしっくりする居場所・被写体を探せずに時が過ぎていたように思います。

ところが、昨年訪れた北海道の十勝岳で自分が向き合うべき被写体が「山」だったと気づいた。本当に、あの景色に出会えたのは偶然だったのだけど、あれは神様の贈り物だった、と今は感じています。

日常の景色のなかから、切なく儚い瞬間を大事に切り取ってきたこれまでの作品・作風もそれはそれで大事にしつつ。これからは「山」という被写体に本気で向き合っていきたい。写真家として、さらに「世界」という山にも登っていきたい。そして、山と向き合うことでこれまで自分が重ねてきた幾つもの思いを整理し、自分の生きた証を残していきたい、そう思っています。

そして、私にしか残せない山を表現していきたい、とも。