役割。

お正月に買ったみかんの存在を忘れており、気付いたら腐敗が進んでいた。腐敗しきったら胞子はどこにいってしまうのだろう。気持ち悪いと思うより先に、疑問が脳裏をかすめた。そして、写真に残したくなった。残したから何になるのだろう?と思いつつ。

気持ち悪いと思うものも、自然の摂理においては欠かすことの出来ない存在。何かしらの役割が与えられている。すべては無駄ではないということ。

そう考えると、私がいま、この写真を残した行為も無駄では無く、いつか役に立つときが来るのかも知れない。

 

 

幸先。

2019年初の山行は、一面雪景色の丹沢。

広範囲かつ長時間、霧氷が見られることは丹沢山塊では珍しいこと。幸先の良い山始めとなった。今年はどれだけ、山、そして写真と向き合えるだろうか。

個人的に今年は、これまでとこれからを見つめ直すタイミングだと感じている。なりたい自分はどうやら自分にとって得意なことではないらしいから。それなら無理せず、好きで好きでたまらないことに全力で取り組んだ方が良いのではないか。それさえ得意なことかどうかは分からないけども、少なからず後悔はしないだろうし、幸せになれる気がしている。

幸せって…何だろう。

 

皆様にとって、良き一年となりますように。

 

 

 

 

 

冬の光にて。

いつの間にか立冬を過ぎ、暦の上では既に冬。
どうりで光が儚いと思っていたら。

儚い光を求め、木々は空を仰ぐ。
儚い夢を求める私は、何を仰げはよいのだろう。

山岳写真と山女日記。

個人的に、山岳写真は興味がない。

と言うと、これまで散々山が好きと言い、山の写真を見せてきた私の活動意義が疑われるが、いわゆる「山というものはこうあるべき」と言う写真に興味がないということ。私にとって山は、心象を表現する媒体であるから、朝日に照らされて美しく輝く山肌や、構図を完璧にとりながら山容全体を写すような作品ばかりを撮りたいわけではない。心は笑う時もあれば泣く時もあり、ここにあらずな時もある。ガスに覆われて山容が見えそうで見えない景色や、アウトフォーカスで目線がどこにも合わない景色も撮るし、むしろそうした景色の方が好きだったりする。

だけど…

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可視化。

上は冬。下は秋。

 

心ここにあらず。

10月も三連休を過ぎると、紅葉は人里へ降り、アルプスは雪の便りが届く。山小屋も小屋閉めを迎え、いよいよ人を寄せ付けないきりりとした空気に包まれる。

数日前、山が眠る前に…と前穂高岳に登った。今撮りためている作品に足りないイメージを探しに登った。山に入ったその日は快晴であったが、前穂高岳に登る日はどんよりとした雲に覆われ、山頂に着くと同時にガスに覆われてしまった。ちょうど一年前のこの頃、涸沢から奥穂高岳に登った時もガスに覆われ、周囲の山々を見ることは叶わなかった。今年こそは…と期待していたが、

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宙に恋する山。


山になったら、あの宙に近づけるのだろうか。

登山者のエゴと写真家のエゴ。

思いがけず、剱岳に登ることになった。
自分でこの山域を選んだのだから、思いがけずというのはおかしな表現だが、秋雨前線が南下したことで立山山系の天気が快方に向かった。だから思いがけずというのはあながち間違いではない。

剱岳といえば、新田次郎の小説「点の記」の舞台となった山で、岩だらけの切り立った尾根と厳しい自然環境から、日本地図最後の空白地帯とされてきた山だ。

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雲ノ平へ。

先日、日本最奥の秘境、黒部源流について書いたが、ひょんなことから一年ぶりに再び秘境「雲ノ平」へ行くことになった。

ふたつの台風が接近している状況ではありながら、いざ山に入ると秘境へ近づくにつれ晴天へと変わっていく。その様子はまるで、人間界から天上界への景色の移り変わりを見ているよう。

「ここは神々の集う天上界なのでは?」

あまりに美しい光景を眼前にし、この世に帰れるのか不安になる。もしくは、夢なのではないかとさえ思う。

帰路の途中、この山行が夢ではなかったことを証明するかのように記事を書く。足の疲労感からすると、夢でなかったことは確かなようだ。

 

憧れの秘境。


台風13号の接近により、南アルプス山行の計画が流れてしまった。去年のこの時期も同様に、北アルプス山行の計画が流れて悔しい思いをした。8月の第一週は、台風の特異日ならぬ特異週なのだろうか。

それはさておき。
昨日の情熱大陸にて、黒部源流にある三俣山荘の密着取材が放映された。ここの山荘を知ったきっかけは、もとを辿れば黒部ダム工事の歴史からなのだけど、黒部のことをさらに知りたくなって手にとった本「黒部の山賊」が直接のきっかけ。

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