後悔


うだるような酷暑にうつらうつらしながら作業していると、スマホが目を覚ませとばかりに何かを知らせてきた。友人からの素晴らしい報告だった。一気に目が覚めた。
その報告を聞きながら、「ああ、やっぱり今日は山に入れば良かったか」と思った。山を通じて知り合った方から、「北アに行く予定なのですが、ご一緒しませんか?」と誘われていたのだ。ふたつ返事で参加すると言いたいところだったが、来週はロケが控えている。7月に入り、週に一度のペースで山に入っていたツケが溜まっていたので、今週は仕事を片付けたり、ロケの準備をしたりするので無理は出来ない。行きたい気持ちは山々であったがお断りしてしまった。
だけど、友人の努力する姿とそれに見合う結果報告を聞いたとき、正直、山に行かなかったことを後悔すると同時に、自分に負けてしまったと思った。仕事はその気になれば片付けられたが、頭の片隅でその山行での撮れ高や、経費のことをリアルに勘定してしまったことが、山行への参加を躊躇させた。
山は行ってみないとどのような被写体に出会うか分からない。思いのほか素晴らしい出会いに恵まれることもある。友人も、やってみなければ分からない、と思って挑戦した結果が実を結んだ。そうして努力している人がチャンスを掴み取る。先週、足を運んだ白馬岳は終始ガスのなかだったが、一瞬だけ日が差し、霧虹とブロッケンという美しい現象に出会えた。そう、行ってみなければ分からないのだ。

本能

この広い世界の中で、あなたは何故山を選ぶのか?それが本能だと言うのなら私のそれも、DNAに組み込まれているものなのだと思う。

山は呼ぶ


昨日、作品作りのために後立山連峰を縦走した。現在取り組んでいる作品は特定の山域をテーマにしているわけではなく、イメージに合う場所であれば正直どこでも良かった。条件としては岩稜帯であること、ガスが湧き出る天候であること、今まで登ったことのない山であること。この条件に当てはまったのが後立山連峰だった。結果として求めていたカットが撮れたのだが、今回の山行は直前まで迷っていた。出発前夜まで天気予報を睨み続ける。自宅から登山口である扇沢までは時間もかかるし、旅費もそれなりだ。天候により撮れないことのほうが余程多い。だけど、今回は山に呼ばれている気がした。そして、山は確かに呼んでいた。

運命

山に行くことについて、家族や近しい友人からはとても心配されるけど、死にに行くわけではない。そのことをある出版社の社長にお話ししたら「山は体を清めに行く場所」と仰った。個人的には、山は生と死をリアルに感じることで自分と向き合う場所だと思っている。結果的にそれは精神的・肉体的デトックス作用につながる。

山は死にに行くために登るのではないが、もし、運命というものがあるのなら、その場所やタイミングは山かもしれないし、そうでないかもしれない。普段何気なく流れてくるニュースのなかに「何故この人がこのタイミングで…」と感じることは多々にある。そこにはやはり、運命の流れを感じざるを得ない自分がいる。

自分の運命の河はどの様な流れなのだろう。

風の便り

季節の変わり目に差し掛かるころ、「そろそろ季節が変わりますよ」と風が吹く。今宵、私の住む街に風の便りが届いた。あの山の上にも風の便りは届いたであろうか。

気持ち新たに。

写真家 川野 恭子 のWEBSITEをリニューアルすることにしました。

ここ数年、これまで以上に自分に向き合い、作品に向き合い、自分の生きている証を残していきたい、と強く思うようになりました。以前からそう思っていなかったわけではないのですが、どこか、自分のしっくりする居場所・被写体を探せずに時が過ぎていたように思います。

ところが、昨年訪れた北海道の十勝岳で自分が向き合うべき被写体が「山」だったと気づいた。本当に、あの景色に出会えたのは偶然だったのだけど、あれは神様の贈り物だった、と今は感じています。

日常の景色のなかから、切なく儚い瞬間を大事に切り取ってきたこれまでの作品・作風もそれはそれで大事にしつつ。これからは「山」という被写体に本気で向き合っていきたい。写真家として、さらに「世界」という山にも登っていきたい。そして、山と向き合うことでこれまで自分が重ねてきた幾つもの思いを整理し、自分の生きた証を残していきたい、そう思っています。

そして、私にしか残せない山を表現していきたい、とも。